小売業を取り巻く環境の変化に対応し、先進企業はデジタルトランスフォーメーション(DX)を積極的に進めている。その実例を見ていくと、デジタル化により店舗という物理的な空間の価値を拡大でき、顧客の新たな顧客体験、従業員体験を創出できる。スマートフォンやタブレットの普及により顧客もデジタルになじみ、新たな体験を提供しやすくなった。クラウドの進歩により、従来よりも事業者のニーズに合った新たなデータ分析の仕組みを作ることが可能だ。
スペシャル トーク セッション1 DX時代、求められる経営
トライアルホールディングス 代表取締役
亀田 晃一氏
一橋ビジネススクール 教授
楠木 建氏
●店舗向け機器を自社開発
楠木
まず会社紹介をお願いしたい。
亀田
トライアルは小売業からスタートし、2002年ころからIT(情報技術)と物流にも力を入れた。売り上げは02年の約200億円から20年には約5000億円へと伸びた。
楠木
今の新型コロナ禍もそうだが、ピンチはチャンス。2000年代前半に機会を見いだして急成長した形か。
亀田
それに加えて店舗の裏側のインフラを強化してきた。
楠木
新しいテクノロジーを事業として育てていく考えか。
亀田
その通り。DXの根本はハイパーコネクト。いろいろな要素がネットにつながりデータを共有できることだ。デジタル化が進む中で店舗も変わる。私たちはスマホの活用に加えて、人工知能(AI)カメラとスマートショッピングカートという独自デバイスを自社開発した。
楠木
自分たちで開発することで効果があるものを作れる。加えてコストも下げられる。こんなに良い話はない。
亀田
大事なこととして、我々の強みはテクノロジーよりオペレーションだ。顧客がどう感じてどう動くか、そこは巨大ハイテク企業よりも私たちの方が分かっている。
楠木
テクノロジーだけでなく、オペレーションと組み合わせて価値を作るようになってきた。極端な例が米アマゾンだ。それと同じ立場か。
亀田
そうだ。今一番力を入れているのはスマートショッピングカートだ。タブレットとバーコードリーダーを搭載したセルフレジ機能付きの買い物カートで、専用プリペイドカード で決済まで行える。
楠木
使用する側のメリ ットは何か。
亀田
顧客の満足度が高い1番目のポイントはレジ待ちがないこと。2番目はキャッシュレス決済。新型コロナ禍で現金の受け渡しをしたくない側面もある。3番目はクーポンなどお得な情報が届くこと。4番目は買い物中に合計金額が分かること。単純な機能だが満足度が高い。
楠木
3番目に挙げたクーポンなど情報提供の機能は、顧客の行動をよく理解していることが重要ではないか。
亀田
その通り。これから深みが出てくると思っている。スマートショッピングカートでは、顧客の店舗内での回遊の状況も分かる。
●協力してデジタル推進
楠木
そうした情報はスーパーに商品を卸しているメーカー、ブランドにとって非常に大きな価値がある。物理空間は一覧性が高く、加えて店舗の側から情報をプッシュできる。大きな可能性がある。
亀田
欠品検知などの業務をAIカメラに担わせることにより、従業員には接客や売り場づくりのようなより生産性の高い仕事に注力してもらう。
デバイスは量産しないと安くならない。そこで他の小売業とも手を組み、企業グループを作って取り組みを進めていく。DXで一番メリットがある分野は複数の企業にまたがる情報共有だ。私たちのデータはメーカーや卸等と共有している。
楠木
店舗のための情報インフラを業界のみんなで使えるようにする考えか。
亀田
競合企業とも積極的に協力していく。店舗のための情報デバイスを開発し、店舗のデジタル化を進め、もっと顧客とつながっていく。
楠木
リアル小売業の世 界にもテクノロジーが役割 を発揮できる大きな可能性 があることが分かった。
スペシャル トーク セッション2 DXで生み出す新たな価値
グッデイ代表取締役社長
柳瀬 隆志氏
ヤプリ マーケティング本部
マーケティングスペシャリスト
島袋 孝一氏
●システム内製化が転機
島袋
小売業のDXを細分化して考えると、顧客体験CX(カスタマーエクスペリエンス)と、従業員や取引先の体験EX(エンプロイーエクスペリエンス)に分解できる。それぞれ大事だ。DXへの取り組みを聞きたい。
柳瀬
グッデイではホームセンターを運営している。関連会社のカホエンタープライズはデータ分析環境の構築やデータ活用のコンサルティングサービスを提供している。グッデイで 取り組んだデータ分析の仕組みを社外に提供するために別会社とした。
島袋
外部のシステム会 社に委託せず内製しているのか。
柳瀬
15年ころからシステム内製化の方針を打ち出した。クラウドでデータを管理し、BI(ビジネスイ ンテリジェンス)ツールを接続する取り組みを進めた。自社のデータ活用に目鼻がついたので、外販を始めた。
島袋
新型コロナ禍の影響はどうか。
柳瀬
本部は20年3月末から在宅勤務を基本としている。半年以上になるが、特に問題なくリモートワークで業務を遂行できている。IT化やDXがコロナ禍で役に立っている。
島袋
IT化に際しどの ように人材を確保したか。
柳瀬
新技術に関心を持つ人材を積極的に採用している。DXに取り組むことは人材採用にもプラスに働いている。基幹システムを維持する人材も必要だが、レガシーな技術が中心なのでこちらは採用が難しい。
島袋
顧客のニーズはコロナ禍で変わったか。
柳瀬
以前とは全然違 う。ホームセンター業界は好調だが、それは顧客の生活スタイルが変わってきたためだ。家をもっと快適にでき、またそうでなければ在宅勤務もしにくいことに皆が気付いた。補修、観葉植物など、家の環境を充実させる動きが盛んだ。従業員も顧客の要望に応えるやりがいを感じている。
島袋
従業員の連絡ツールはどうしているか。
柳瀬
店長は全員クロームブックを持っており、店長会議はオンラインで実施している。資料は紙ではなくタブレットで閲覧してい るツールにより従業員との距離は以前よりもむしろ近くなった。
組織の構造や風土を一瞬で変えることは難しいが、時代とともに徐々に環境が変わっている。
●データ共有を事業化
島袋
データ共有はどのような仕組みによるのか。
柳瀬
16年からクラウド上にデータウエアハウスを設け、BIツールにつないで可視化するデータ共有の仕組みを運営している。以前はPOS(販売時点情報管理)データをオフラインで送り外部の会社が分析していたが、それでは受け身になってしまう。私たちはデータ分析のダッシュボードを作り、自社内だけでなく取引先にも見てもらえるようにした。共通の目線で議論できる。こうした取り組みは、小売業他社では意外とやっていなかったため、外販に乗り出している。
島袋
事業ポートフォリオが変わってきている。強みを生かして会社の利益を作る形か。
柳瀬
新型コロナ禍もそうだが、環境の変化に伴い多くの新しい課題が生まれている。多くの場合は「だからできない」という話になりがちだ。地道に解決に取り組めば、それ自体が事業になる。私たちのデータ分析事業は、グッデイが抱えていた課題を、クラウドとBIで解決できたことから始まった。きちんと課題を解決すれば、それが事業になる。
ソリューション ピッチ アプリで始めるリテールDX
ヤプリ
マーケティング本部
和田 理美氏
●ノーコードでアプリ開発
ヤプリはノーコード、つまりプログラミングなしでアプリの開発、運用、分析をすべて行えるサービスだ。IT人材が不足する中、開発コストを抑えてDXを支援する。既に450社以上の顧客が導入している。
ここで問題提起をしたい。会員証の発行を顧客に断られてしまったことはないか。店舗に在庫がなく顧客が求めるタイミングで商品を提供できなかったことはないか。クーポンなどお得な情報やコンテンツを提供しても閲覧されなかった経験はないか
こういった課題をアプリで解決した事例を紹介したい。ある釣り具店舗チェーンでは、スマホアプリに会員証機能を持たせ決済もポイント取得も可能とした。欲しい商品の在庫が店頭にない場合も、バーコードを読み取って電子商取引(EC)で注文可能とした。顧客が欲しいタイミングで、いつでもどこでも商品を購入できる。また顧客向けのコンテンツをアプリから閲覧しやすくした。アプリを導入した1年後、モバイル経由の会員登録数は2・1倍、モバイル経由のEC売り上げは2・3倍と急成長した。様々な施策の組み合わせにより高い効果を上げることができた。